特定非営利活動法人 全国視覚障害児童・生徒用教科書点訳連絡会

2022年度第1回(通算第33回)セミナーのご報告

9月17日(土)10時から11時半まで、オンラインによるセミナーを開催しました。

今回は「点字教科書・教材使用者の体験に学ぶ」をテーマにお二人の発表者をお招きし、これまでの経験を聴かせていただきました。参加者は51人の幅広い方面の方が参加され、熱心に耳を傾けました。

前半は、今春、京都大学文学部を卒業し、社会人として活躍中の花房朋樹(はなふさ ともき)さんのお話でした。小学校から高校まで地域の学校で学んだ花房さんは、現在は全盲ですが、幼少期のころは弱視でした。そのため、小学校のころは単眼鏡を使って読み書きしたり、拡大教科書を使用しながら学びました。それと同時に、定期的に盲学校に通級し、単眼鏡や拡大読書器の使い方、歩行訓練などの指導を受けていました。小学校高学年ころ、徐々に文字を読むスピードが遅くなり、盲学校で点字に切り替えることを提案され、点字を読む練習を始めました。

中学で点字教科書を使用するようになりますが、急にすらすら点字を読めるようになるわけではなく、辛い日々が続きました。思春期という時期も相まって、すらすら読み上げられない音読の時間が嫌いだったそうです。一方、両親に問題集を読み上げてもらいICレコーダーに録音してもらったり、スクールヘルパーに試験問題を読み上げてもらい口答で受験するなど工夫を重ねていました。そうして、中学3年のころから試験や副読本なども点訳してもらうようになりました。

高校入試を点字で受験し、見事合格。点字を読むスピードも上がってきて、手ごたえを感じていました。また、教科書や教材は学校がコーディネイトをしてボランティア団体に依頼し、準備をしてくれていたため、学習環境も充実していました。学校生活でも部活や文化祭に積極的に打ち込むことができ、3年間を満喫できたとお話されていました。

花房さんは、今振り返ると、点字教材がしっかり整っていたからこそ、勉強も学校生活も充実させることができた。学校の協力体制だけでなく、支援してくださったボランティアの方々にも深く感謝している、と何度も口にされていました。

最後に、中学・高校時代、点字で学習し感じたことについてお話してくださいました。

後半は、現在、早稲田大学理工学部4年生で、物理学を専攻されている天川真琴(あまかわ まこと)さんのお話でした。

天川さんは小学校2年生の時に全盲になり、地域の学校に通いながら、盲学校に通級し点字を学びました。小学校5年生で盲学校に転校、中学まで盲学校で学びますが、高校は理系を専攻したかったため、地域の進学校に進学しました。

高校では、大学入試の過去問など個人的に読みたいものは個人的に点訳依頼していましたが、学校教材については学校からボランティアグループに依頼してくれていました。校内で配られるプリントや提出資料はコーディネイターに点訳・墨字訳してもらい、学校との橋渡しをしてもらっていました。

理系クラスでしたので、図はなくてはならない教材の一つでした。雨温図、光路を表した物理の図、有機化学のベンゼン環の形の図など数々の点図を点訳していただきました。また、地形図などどうしても点図にできないものは、そのまま立体コピーにしてもらい、教員や保護者に説明してもらって理解したこともありました。ただ、見取り図は原本のまま点訳されていると理解できませんでした。

地図については地図の説明をノートにまとめたり、シンプルな点字地図帳に授業で学んだことを自分で書き込んだりしていました。英語点字や楽譜は盲学校で学び、英語の本を一覧表と照らし合わせながら読みました。数学記号は授業を聴き点訳物を読みながら覚えました。同じように大学ではドイツ語を履修し、点字表記も一覧表を見て覚えました。

最後に、天川さんにも点字教材についてお聞きしました。

お二人のお話を聞き、特に高校時代は、数多くの教材プリントや参考書も必要である中、点字資料に軸足を置きつつ、合わせ技でテキストデータもうまく使用するなど工夫されていた様子が伝わってきました。とはいえ、やはり学びには点字が欠かせない文字であったことは言うまでもないようです。プリントアウトした紙の資料や電子データなど形式は違っても、語彙や知識を身に着けるために、学齢期の視覚障害の児童生徒にとって点字資料は重要であることを再認識できました。そして、ボランティアの皆さんお一人お一人のご協力により1冊の本がとどけられ、児童生徒たちの学習環境や学校生活を豊かにしているというお話も印象深く心に残りました。

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